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掲載日付:2023.03.30

与論病院の研修を終えて

2,3月の与論病院での研修はこれまでの2年間の初期研修の中でも、特に色濃い研修でした。
医療的な経験に加え、島特有の文化や環境に触れたのが特に大きな経験となりました。

ミナタという亀によくあえる海岸




与論島は鹿児島県最南端にある1周20km程度の島です。
人口は5000人で島内にチェーン店やコンビニは無く、島民が交通ルールを忘れないようにと、
病院の近くに1つだけ信号付きの交差点がある島です。

晴れた日の高台からは、ヨロンブルーと言われる特有の青い海と珊瑚礁に
360度見渡す限り囲まれているのがよくわかります。
大地にはさとうきび畑と牛舎が広がって、キビの収穫時期には一際目立つ大きな煙突から
キビを煮た蒸気が立ち上っています。

着いてすぐには、与論島は本当に何も無い島だと思っていましたが、
島民に与論にいる理由を聞くと「何でも近くにあるし、困る事がない」と話します。


確かに、車を15分走らせれば島内どこでも行けるし、食べ物も美味しく住みやすいです。
けど、地理的な距離以上に「人と人の距離の近さ」を実感しました。
高齢の方は特に5-6人兄弟は当たり前だから親戚は島内にも沢山いて、同級生も人数が少ないから深い仲になります。


「島全体が顔が見える関係で成り立っている」と言っても過言では無いくらい密なコミュニティでした。

実際病院で勤務していても、
院長は受診される患者さんほぼ全員の事をご存知で、
5000人規模が島全体を診る上でちょうど良い人数だとよく話されていました。
(僕にはとてもじゃないけど5000人は多過ぎると感じられましたが...)

忙しい中でも優しく指導してくれた高杉院長



常勤医は院長1人で、そこに応援の外勤の先生方、研修医数人いて診療をしていました。
人手は少なかったですが、院長が実施している医療は自分が思っていた何倍も高い水準で、
外来では高齢者の誕生月に各種必要なスクリーニング検査をしていたり、3月には外科手術も4件あり、
ヘリ搬送もあり、内視鏡も1年間で高齢の島民全員のカメラが行えるほど活発でした。

もちろん、島に問題点が無い訳ではなく、
近年だと子供の不登校が増えていたり、アルコール使用障害の方が多かったり、
若者の島離れも多いなど、健康課題は沢山あります。

元々島の方々は与論島での生活に疑問を持っていなかったし、
永年かけて確立した持続可能な社会が出来ていたと思います。
ただ、スマートフォンの普及もあり、生活の多様性が明らかとなったことで、
島外と島内のギャップに気付かされ、悩むようになったのかなとも思います。
医療者として、どこから介入ができるのかな?なんて考えているうちに2ヶ月が過ぎてしまいました。

そんな中、私が与論の文化で特に衝撃を受けたのが、「在宅看取り率80%」という数値の高さでした。
元々、故人の魂は死を迎えた場所に留まるという文化で、

たとえ入院していても状態が悪くなると自宅へ搬送し、自宅で看取っていたとのことです。
10年程前まで島に火葬場や斎場は無かったため、遺体は家族で海の近くの土地へ土葬し、
中には一定期間あけて掘り起こして遺骨を家族が海で洗うといった文化まであったそうです。
今でも葬式の案内は島唯一の交差点にも貼り出され、島全体で喪に伏すような印象すらありました。

自分自身もこの2ヶ月で忘れられない患者さんが2,3月それぞれ1名いらっしゃいました。
院長も外勤の先生も、答えを出すのでは無く、一緒に悩んで下さった事に非常に助けられました。

いいチームで仕事ができました!


与論での2ヶ月で自分が何を得たかは、まだわかりません。
ただ、毎日島民の方と話して、病院で悩んで、綺麗な海に心洗われ続けた日常で多くのことを感じたのは確かです。
4月から千葉の南房総で後期研修が始まる中で、与論で得たものが何だったかが少しずつ実感されるのかなと思っています。

与論の事を大好きになったので、また行くのだろうなと何と無く思いながら、
帰りの飛行機で書いた備忘録でした。

何を食べてもおいしすぎる!くねんぼ食堂


潮が満ちてる百合ヶ浜もきれいでした

夕日は海に沈みます

与論病院のオリジナルスクラブ

ここからの眺めは最高でした!


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